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2011年05月21日

交流記念碑建立趣意書

台湾、基隆にある小さな島、和平島。

その一角に、約三千人のウミンチュが大切に埋骨されていると言われています。

基隆の皆様によって大切に慰霊堂に納骨されたウミンチュは、今この時も、海の守り神と共に祭られ、地元ボランティアの皆様が献花や焼香、施設の清掃など、管理を続けています。沖縄からの訪問団は大歓迎され、みな口々に昔の沖縄居留者との交流の思い出を話してくれます。

なぜこれほどまでに琉球(沖縄)が地元の人々に愛され続けているのか。時代は百年以上も昔、1895年にさかのぼります。

日清戦争の処理として、清国は台湾と周辺諸島を日本へ譲渡しました。

1905年ごろからウミンチュは台湾に渡り、やがて和平島の西南地区に「琉球村」を作ります。その後は沖縄県旧知念村久高島出身の内間長三氏を中心に、当時の先端漁法技術を導入し、基隆海域で漁業を営みました。

1921年あたりになると和平島のウミンチュは500名に達し、地元の長老は当時の様子を「沖縄漁師のお蔭で基隆は栄え、私たちはお互いによい友情関係を保っていた。沖縄漁師の二世と僕らは、兄弟みたいな関係だったよ。」と懐かしげに語ります。

台湾と沖縄の友好関係は、ウミンチュの力によって浸透したと言っても過言ではありません。

雄大な希望と共に大海原を渡り、国際交流のパイオニア、島人としての気概を持ったウミンチュを称え、互いの歴史文化の接点、共有点としたいのです。

お互いが記念像を囲んで経済・文化・学術の交流をすることによって、双方の関係がますます輝かしい発展を遂げると、私たちは信じているのです。

期成会会長 名城 政次郎



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Posted by 琉球ウミンチュの像建立 at 20:41│Comments(0)交流記念碑建立趣意
 
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